不登校でもいいじゃない。いつか、拓けるときがくる。

お久しぶりの投稿となってしまいました。みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。

サッカーW杯、日本、惜しかったですね🇯🇵⚽️💦

W杯といえば、忘れもしない、2010年のW杯。全然見るつもりもなかったんですが(というか、確かW杯の試合があるということすらよく把握してなかった気がする)、当時の家庭教師先のお父様に、「今晩、W杯ですよね。先生、みますか?」と言われ、その言葉がずっと家に帰ってからもなんとなく頭に残ってて。帰宅して「やっぱり気になるから見よう」と思って笑、テレビのリモコンをポチっと。そして本田圭佑選手がガツン!とゴール、決めましたよね。あの時初めて、本田選手の存在を知って。そして彼の口から紡ぎ出される言葉に、雷が落ちたような衝撃を受けました。当時私はまだまだ過食症に悩まされ、摂食障害と闘っていました。でも、テレビや雑誌を通してでも、彼と"出逢った”ことは、私が摂食障害を克服する、大きな大きな一つのきっかけとなりました。

いつも思うんですが、第一線で活躍されているスポーツ選手って、切り替えが早いですよね。試合で負けても、どんな失敗をしても、インタビューを聞いているとみなさん必ず、「切り替えてまた次頑張ります」「現実を受け入れて、また努力します」っておっしゃる。それが、本当にすごいなぁって思ってて。切り替えが苦手で、ついつい、ずるずると行きがちな私は苦笑、いつも、刺激をもらっています。

そしてこないだ本田選手が、困難なことを乗り越える際のメンタルの持ち方として、「辛いと感じる人はネガティブなんですよね。僕は、辛いことは、悪いことだと思ってない、貴重な機会だと思ってる」みたいにおっしゃってたんですよね(その通りの言葉じゃないです、私の記憶の中の言葉です)。この言葉ね、私は、最初は、半分納得できて、半分納得できなかった笑。半分はもちろんその通りだと思った。でも、一体その「辛いこと」が、「なんのための辛いことなのか」ってことなのかと考えたとき。例えばスポーツ選手にとっての辛いことって言ったら、怪我で離脱しなくてはいけないとか、なかなかレギュラーに入れない、とか。それは、もちろん乗り越えれば、自分が「魂を燃やしている」その世界が、より深く、より厚みを持って、立ち現れるわけですよね。それだったら、きっと頑張れると思うんです。つまり魂を燃やせるものがあるから、打ち込める世界があるから、そのためだったら確かに、辛いことも「貴重な機会」として捉えられるだろう、と。

でも、そうじゃない場合はどうなんだろう、と。自分が打ち込んでいる世界と全く関係のない分野での辛さだったり、そもそも打ち込めるものがない人、「これのために私は生きている」と、己の魂を燃やせるものがない人にとっても、その辛さを、「貴重な機会と捉えられるだろうか」と。で、私は、「いや、そうは捉えられないな、考えられないな」と思った苦笑。

つまるところ結局この問題は、「なんのために生きているのか」、という問いに行き着くと思うんです。それがはっきりしている人は、きっと辛いことも乗り越えていけるし、困難が訪れても、そんなにブレずにやっていける。でもそうでない人たち。「一体この人生はなんのためにあって、一体私はなぜ生きているんだ」という状況にある人たちにとっては、それはタフな話だろう、と。

でも・・・。でもね。だからといって、自虐的な生き方を繰り返していてもなんにもならない。じゃぁ一体何を希望に生きていくのか?と考えたとき。それを、見栄とかそういうのを取っ払って、教師だからとかそういうのも抜きにして、等身大の自分で考えた時。

それでも生き続けていれば、いつか必ずいいことがある」、それが全てだな、と思いました。

それはね、やっぱり、絶対です。100%苦しいだけの人生っていうのは有り得ない。それは本当に、絶対ありえない。いつか、ほんの一瞬でも、「うわぁぁぁ、生きててよかった・・・!!!」。そんな瞬間が絶対訪れます。だって、今まで"微塵もいい瞬間がなかった人"って、いないと思うんです。絶対、「うわー!!!」っていう瞬間、魂震える瞬間は、誰しもがそれぞれの人生の中で、通ってきていると思います。

だから、今、差し当たって「なんで生きてるのかわからん」という人でもね。そしてそれが故に、例えば過食症という形で不摂生を繰り返していたり、また人によってはアルコール依存、また人によっては日がな一日ゲームや携帯をする、とか。なんでもいいんですけど、そうやって、少し自分を「傷めつける」生き方をしている人がいたら、ちょっと、考えてみてほしい。いつかのその時のために、その瞬間のために、少しでも身体をいい具合に整えておくことはできるし、少しでも何か知識を蓄えること、見聞を深めることはできる、と。そしてその選択というのは、本当に一人ひとりの「選択」に、意思決定に、かかっているのだと。そこは、私たち教師の力の及ばない範囲なんです。勉強を丁寧に教えることはできるし、君がわかるまでとことん付き合うこともできる。でも、その最後の「意思決定」というのは、私が代わりにすることはできない。みなさん、一人ひとりの「力」にかかっています。

私は、自分自身は不登校ではなかったですけど、でも、不登校でも全然いいと思うんです。無理して学校に通う必要もないし、無理して周りの友達に合わせる必要もない。でも、今不登校の生徒さんで、ちょっと自堕落になっていたり、悪循環に陥っている人がいたら、どうか思い出してほしい。不登校でも全然いい、でも、自分の人生、自分の未来までをも、犠牲にはしないでほしい、と。コツコツ生きていれば、いつか思いもよらぬ形で道が拓けるときが必ず来ます。それは多分、「意志」とか「狙い」を超えたところで、です。

「生きてて何になるんだろう」と思う気持ちも痛いくらいわかる。私も同じ道を通ってきました。でも、少し見方を変えて、「でも、今はそうだけど、いつかきっとまた、いいことがある。その時のために、ちょっとずつ頑張ろう」。そう思って、また一歩一歩歩んでいってくれたら嬉しいです。

いつもいつでも、応援しています。