教えることはアートそのもの
私、20代の頃、教えるということが嫌で嫌で仕方なくなった時がありました。その時はもう、「二度と教えることはしない」と心に誓ったくらい。それはもちろん、様々な理由からでしたし、今現在Aspirantで打ち出している教育とは少し違った分野でやってたということも背景にあるのですが、今、こうして私も30半ばになって(なんでしょうね、気分だけはいつでも大学生くらいなんですが・・・)、そして、日本語教師としても本当に世界中の国の生徒さんを教えるようになって、見えてきた景色があります。それは、「教えることって、アートなんだな」、と。
教えることと、クリエイティビティは、いわば対極にあると思っていました。でもね、「真の教育」って、知識の伝達ではないということ。ここ最近、確信に至るようになりました。もちろん、知識の伝達は時に必要不可欠です。テキストを調べても載ってないこと、でも教師は知ってることってたくさんありますし、もちろん生徒さんに教える時、ある程度"知識"は教えます。日本人の生徒には例えば英文法を、海外の生徒には日本語の文法を(そういえばこないだ、ひょんなことからアメリカ人の生徒さんに英文法を教える機会があったのですが、ひたすらにその生徒さん、驚愕してました笑。こんなの習ったことない!!って笑。そりゃそうですよね、ネイティブがやる文法と、外国人が第二、第三外国語として習う文法は全く違います、それは日本語においても英語においても同じです)。
でも、折角の授業時間。テキストに調べれば明らかに書いてあることや、例えば単語の意味など、生徒が自分で調べればある程度わかること、そういうのを授業中にやるのはあまり意味がないと私は思っていて。例えば海外の生徒さんにも、「語彙は教科書の○○ページに書いてあるから適宜覚えてきてね」「この箇所はテキストのオーディオがあるから、自分で適宜繰り返し聞いて、スムーズにアウトプットできるまで練習してね」と、それぞれの自己学習に任せます。そして、次回の授業時にちゃんと身についてるかどうか、宿題をやってきたかどうか、チェックします。でも、そうした一定のカリキュラムの中でも、生徒さんが疑問に思う点、苦手な分野は、やっぱり、一人ひとり、違ってくるんです。発音を難なく乗り切れちゃう生徒さんもいれば、なかなかベーシックな発音そのものが難しい生徒さんもいる(そしてその場合、自ずとリスニングも難しくなります)。"あ、この生徒さん、段々助詞が混同してきちゃってるな"という生徒さんもいれば、"この人は助詞は大体大丈夫だけど、ちょっとイントネーションがナチュラルじゃないな"など。そして、前者の助詞が混同している生徒さんには、助詞にフォーカスした既成の文法問題や、私がオリジナルで作った問題を出してとにかく解いてきてもらうようにしますし(もちろんある程度の文法や概念の説明も加えて)、後者の生徒さんにはアウトプットの時間を授業中にもっと増やすようにしたり。
あるいはまた、簡単に敢えて「教えない」ことも多いです。単語が忘れちゃった生徒さんには、「はい、じゃあ○○ページにあるから自分で調べて」とか、ビギナーの生徒さんで、カタカナやひらがながまだ怪しい生徒さんには、ディクテーションして、その場でカタカナやひらがなで聞き取ったものを書いてもらったりして、「自分で勉強していける力を養う」ことにもフォーカスします。そして、同じ「カリキュラム」内でも、「この生徒さんにはまだこのテキストのこの箇所を自習してもらうのは早いな、もうちょっと後になってからに出そう、もうしばらくは授業中に一緒に取り組んだ方がいい」「この生徒さんはもう、ある程度慣れてきてるから、オーディオを聞いて、自分で取り組んでもらおう」この辺のことも全部、生徒さん一人一人によって違います。
だから思うんです。あぁ、教育って、アートなんだな、と。そして、最近ようやく思うようになりました。「あぁ、教えるって、尊いことなんだな。そして、楽しいな」って。
まだまだ「教えること=知識を与えること」に終始してしまう世の中の風潮があります。繰り返しになりますが、もちろん、それ自体は全然否定しません。知識を伝えなければならない時はたくさんあります。私も時にたくさん生徒さんに知識を伝えます。でも、それだけだったら、別にAIでも、タブレットでも、誰がやっても同じですよね。
でもそうじゃない。あなたがいて、私がいる。そして、私たち2人だからこそ、成り立つ授業があり、目指せるものがある。
私が目指している授業はこれです。
こうしたやり方は多少回り道かもしれません。時間はかかるかもしれません。そして、時にとんでもなく地味な作業です。でも、適切な方法で根拠よく続けていけば、いつか必ずその生徒さんの「本物の学力」、そしてそれは生きる力をもひっくるめた「知性」となる。
教育は奥が深いなぁと、しみじみ思います。