意志と本能の狭間で
前にも書いたかもしれませんが、人生、どうにもならないことっていうのがたくさんあって。それを結局、どこまで受け入れられるか、なのだと思います。
頑張れば叶う、という保証はどこにもありません。あるいは世の中、"意志”ではどうにもならないことって、意外とたくさん、というか、それがほとんどなんだな、っていうのが素直な実感です。その場合、今私が"意志"と呼んでいるものは、エゴ、と呼んだ方が適切かもしれません。
受験勉強には意志が大切だといいます。もちろん否定しません。"ここに行きたい""受かりたい"、そして"つらい勉強を乗り越えていこう"、そういう強い意志がなければ、そこに行動を伴うことは難しいでしょう。これまでも、そしてこれからも生徒に折に触れて言い続けるであろうことは、"自分の人生なんだから、自分で考えて、自分で行動していこうね"ということ。そこは決して生涯、変わらないと思います。
でもね。矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、意志って、時に、なんの役にも立たないんですよね。いや、正しくいうのならば、意志は意志でできる範囲内においてしか、きちんと作動してくれないのだということ。意志にできる以上のことをやろうとすると、次第に歪みが出てきます。
例えば、足を骨折した人がいくら"走りたい、走りたい"と思っても、今この瞬間は走れませんよね。人間にできることは、つまり"(本当の)意志"の力でできることは、この場合だったら"走れるようになりたい"と、方向性を正しく決定し、その目標に向けて、忍耐を持ってコツコツ続けていくこと。言うなれば意志は、自分の行動を正しく導いていくガイド役であると言えます。そして思っているよりも実は、意志はかなり"静的なもの"だというのも、私の実感です。意志というと、何かメラメラ燃えた、熱いもの、という感じがする人が多いかもしれませんが、そういうのも含めてそれらをガイドしてく存在が、本当の意志かな、と。熱過ぎても、それはそれで困ることってありますからね笑。
あるいはまた、前にある方がおっしゃっていたんですが、「多くの人が、将来の不安や心配事などに支配されすぎて、今できること以上のものにがんじがらめになっている」と。でも、「今この瞬間」においてできることって、実はとてもとても少ない。
逆境にあるとき、未来に不安を覚える時。例えば勉強を頑張っているのに模試の結果がうまく出なかったり、成績が思うように伸びなかったり。私たちは、迷い、憂い、時に怒りを覚えます。そうした人生におけるアップダウンに左右され(すぎ)ず、淡々と"今できること"にフォーカスしてやっていく。人間にできることは、意志ができることは、そこまでです。でも、そのコツコツがきっと、今度は意志を超えたところで、いつか花開き、道へ通じるのだと思います。まさに、"人事を尽くして天命を待つ"、です。
人生は、見えない「何か」との、共同作業なのだと思います。自分の身を、意志(エゴ)を、投げ出したところにある、「何か」。
そう、今この瞬間、私たちが生かされているように。